したいことは、他者に寄り添うこと

気がつけば、小学校の中学年ぐらいからクラスや学年のリーダーだった。
自分が望んだわけでもない。そうなっていた。
多分、自分の言葉で物怖じせずに、発言してきたから。


そのスタイルは議会活動でも変化なく、質問や質疑を物怖じすることなく常にしている。
いや、しないではいられない。


ただ、中学2年生の頃から、違和感を有した。中二病と言われるように、この14歳あたりでみんなが自我に目覚め、自己主張もはげしくなり、クラスがどやどやしだす。


途端、イニシアティブは、関西のほうでいう、おだった者へと移行する。
隠れたいじめも始まり、クラスはグループ化し、所属する集団のバイアスがかかり、いじめや対立は、個々人ではなく、集団対集団へ。
まあ、集団性(結)を重んじてきた日本だから、この集団心理や集団への帰属意識は、致し方ないのだが、問題は、かならず、集団からこぼれるものがいる。
このこぼれた者の呼び名が実に酷い。


いじめらっこ、はばにされたもの、孤立したもの、負け組、落ちぼれ・・・・。


マスコミが、こうした言葉を大いに煽ったのは罪。

マスコミの人たちの勘違いした住民統制意識のなれの果て。だから、既成メディアはどんどんだめになるだろう。すでに己のペンのペン先が、すっかり錆び着いていることにも気がつけない。


集団に帰属しない者は、大成功でも納めないかぎり、社会性なき者としてすぐにレッテルが貼られ、変な奴、根暗なやつ、今なら、隠キャとなる。


これが、日本の限界であるなと、感じてきた。

子どもの頃から感じてきた。


個性や独自性が認められず、多様性を許さないから、変化の時代には対応が遅れ、後進国化していく。こうした議論は、別に、今のトレンドでもなく、昔から言われていたことである。


今、変化のスピードに順応できなかった日本の経済や国民の暮らしが荒廃し、やっと、このままではまずいよね・・・とわかっただけ。今更である。


激増する不登校児童・生徒。


孤立してしまう子どもや高齢者。いや、若者や働き世代でもきっと多いのではなかろうか。


社会が変化できなかったから、そうした方々の声を拾い、対応する仕組みが、特に行政では不十分となってしまう。
また、旧態然の意識は変わらず、社会の課題を直視せず、自己責任を掲げ、新たな行政サービスを構築する積極的な姿勢は、未だに弱い。


新しい仕組みを作らない。考えないのは論外である。

闘わずして負けであろう。


こんな時代だからこそ、私たち政治家は、小さな声に耳を傾け、そこに、現実と仕組みのズレを見出し、今後を予測しながら、行政サービスの見直しを図り、提案していかねばならない。


それこそが、本当に他者に寄り添うこと=福祉の増強である。


日本の自治体の中には、そこに気がつき、思考が硬直化した行政や公務員では難しいと考え、専門の民間企業や団体と積極的に連携し(学び)、今までと全く違う発想で、時代(届かない声)のニーズ対応した施策のチャレンジしているところも出始めた。


本当に効果を上げる可能性があるのは、どこかのコピーでなく、オリジナルの施策である。違う方向から見れば、トライ&エラー(朝令暮改)が許される環境づくり、セットとして、市民へのたゆまない配信及び対話が大変重要となる。


結果、市民からだけでなく、今まで隠れていた行政マンの中から、人財を発掘できる場合も多々有る。


もう、行政だけではうまく行かない時代であることは、行政マンでも理解できているはずである。


それは、私たち政治家も同じこと。


今こそ、他者に寄り添い、声を聴き、共に連携・共有し、日本や地域の未来を模索し、新たに構築してゆかねばならない。

いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

ようこそ、いなべ市議会議員 篠原史紀 (しのはらふみのり) のWEBサイトにおこしくださいました。 私はもともとは雑誌などの取材をしているフリーライターで、また、編集者でもあります。議員活動のほか、いなべ市ほか地方を活性化させるため取材や配信活動をして参ります。篠原の活動を応援くださる方は、後援会へのご入会をお願いします。 #いなべ市議会議員 #篠原史紀 #しのはらふみのり #いなべ市議会議員選