いなべ市議会議員 篠原史紀 ごあいさつ

こんにちは! 
いなべ市議会議員 篠原史紀です!

私と共にいなべ市政に参画しましょう!


序文として

私の後援会は、選挙のためだけの後援会ではございません。

市民が市政に参画するための市民組織でございます。

本来、政治家の後援会とはそうあるべき。

故に、多くの市民の皆様、広域連携を考えると、市外のいなべ出身、いなべファンの皆様、是非、私に共感を頂けましたら、後援会にご入会下さい。

そして、いなべ市政に参画をして頂けますように思います。

故に「もう他の人の後援会に入会してしまったわ」と言う方でも、ご興味、関心を持たれましたら、ご入会下さい。本当に市政に興味を有して頂ければ良いのです!

市政とは、ごくごく身近なもの。また、私一人の力などたかが知れております。

多くの市民の皆様に、市政に興味を持って頂き、自分の意志で参画をして下さい。

いなべ市の現在、未来のために、共に行動を致しましょう。

 いなべ市民の皆様、初めまして(の方が多分、多いと存じます)。

 そして、私、篠原史紀を応援して頂いている皆様。

 私、北勢町飯倉に在住しております篠原史紀でございます。

 この度、意を決し市政の場を目指ために後援会を設立致しましたのでごあいさつ、且つ、入会のご案内を申し上げます。

 去る平成29年8月30日、東京大学での「日本地域創生学会」の設立総会から帰りますと、市議会 会派広報誌でお世話になっています伊藤弘美先生からお呼び出しを頂きました。伊藤先生とは8年のお付き合いです。治田の太田政俊議員(当時)より会派「新政いなべ」の広報誌の編集を依頼されたのが出会いのきっかけです。私は、JAいなべの広報誌『ふれあい』から合併後のJAみえきた広報誌『きらり』の立ち上げ後2年、通算18年間、JA広報誌の委託取材・制作を行っておりました。太田議員は元JAいなべの専務理事であり、そのご縁からのご依頼でした。

 そうした中、日沖 靖市長、市議会議員各位の選挙用パンフ、ポスターの制作などのご依頼、「創生」「政和会」「創風会」の市議会会派広報の編集を担当し、ある意味、裏方として町・市政の動き、質問、答弁、政策などを概観して参りました。

 私は盟友の清水隆弘議員の後援会役員でございましたが(9月2日退任)、実直で真っ直ぐ、頑なに自分の言葉を曲げない伊藤先生のその姿勢に常に感動をさせられ、度々市政談義を致しました。時には市政の裏話となり、その実態にお互い閉口し、怒り、意見交換なども致しました。その元気な伊藤先生が、近年、大病を患われたことが何よりも残念でなりません。そして、この夏、咽頭ガンにて声帯を切除され、先生があの元気な声を失われたことに大いにショックを受けました。

 自宅に伺うと、涙を浮かべられた伊藤先生は、私の手を握り、ひたすら若輩者の私に頭を下げるのです。そして、筆談にて

 「篠原君、私の後を頼む!」と。男泣きされておりました。

 無論、情にほだされただけで、決めたわけでもありません。「私もいずれ」とは思っておりました。しかし、長くいなべ市で仕事をして来たとは言え、終の棲家を購入し移住したのはわずかに7年前。私も妻もいわゆる「よそ者」ですので、県内に親戚が1軒もございません。ご存じのように、いなべ市の選挙は現在でも親戚選挙。勝てる当ては皆無に近いかもしれませんが、ただ一つ「志を立て信念を通すのみ」だと。

 私は甲斐(山梨県)の男でございます。甲斐には武田氏時代の「無尽」という組の寄り合いが現在もあります。「無尽」とは「自分を無にして地域・国に尽くす」との意。人(市民)こそ石垣であり城です。

 支持を受けても働かない政治家もいます。私利私欲に走る政治家もいます。少子高齢社会の中、地方は待ったなしです!!いなべ市も新庁舎の建設がスタートし、これからが多分、難問だらけです。故に議員は働かねばいけないのです。私は、今の仕事を縮小し、全力で働きます!

 後援会とは政治家の選挙のためにあらず。市民が市政に参画する手段です。どうぞ、ご入会され、私と共に、いなべ市政に多くの市民の皆様が参画して頂けますようお願い申し上げます。

 長々と駄文を読んで頂きまして、恐悦至極に存じます。


いなべ市議会議員  篠原史紀拝