後援会長挨拶

後援会長 川瀬 好次(北勢町下平)

時代を読める先見性、いなべ愛、行動力。
篠原市議は、新いなべ市に必要な政治家。

思いもよらぬ新型コロナウイルスで世の中が一変してしまいました。今や、感染拡大が止まらず国難となっています。

 その煽りで地区の行事も(神社・寺・老人会・納涼大会…等)縮小したり、無くなったりと、人と接する機会が少なくなりました。酒の場が好きな私にとって残念でなりません。

 今は、ただただ辛抱の一念でしょうか。

 さて、前回のいなべ市議会議員選挙から早いもので、約4年が経ちます。いなべ市の選挙は「親戚選挙だ」といわれ、篠原君は、親戚も同級生もいない、また、小さな在所(北勢町飯倉)から立候補して、誰が当選を信じたでしょうか。

 それが、本人の努力もさることながら、地元飯倉の皆様をはじめ市民、皆さま方の一人一人の力強いご支援があって当選させていただきました。本当に有難うございました。

 篠原君、本人、ご恩に報いるために、この4年間、骨身をおしまず市政に全力投球で頑張ってくれました。

 この4年間の中で、後援会長であった元市議会議員の伊藤 弘美さんが病でお亡くなりになりました。篠原市議を自分の後継者に推薦し、当選へ導いてくれました大恩人の方です。次期に向けては、その大きな後ろ盾をなくしてしまい痛恨の極みです。謹んで深く哀悼の意を表します。伊藤弘美 市議は、獣害対策の取り組みでは大変熱心な方でした。篠原市議もそれを引き継いでくれ、市が行う「獣害対策リーダー養成講座」の設立に貢献し、自ら「飯倉・猿追い隊員」として活動しています。

 また、4年間の活動のなかで、得意の文筆活動を生かし、会派「創風会」広報紙の編集長としていろんな事を提案し、訴え、創風会の市政ニュースを、毎月、配信をしてまいりました。議会改革の一躍を担ってくれたものと思っています。諸問題も多岐にわたり、どれをとっても解決の難しい問題ばかりですが、今後も問題解決に向けて更に挑戦してくれるものと思います。

 そのなかでも「国の宝」「いなべ市の宝」である子ども達に関する政策については、引き続き強い取り組みをお願いするところです。

 新しい いなべ市庁舎から周囲を眺めてみますと、いなべ市が、物凄い勢いで変わろうとしていることが肌で感じられます。ここ2〜3年で、いなべ市はどのように変わっていくのか期待と不安が交錯していますが、いなべ生まれ、いなべ育ちの我々もその準備を怠ってはいけません。

 時代を読める力、先見性のある篠原市議、いなべの谷の隅から隅まで知り尽くしている篠原市議、再度、次のステージに送っていただきたく、切に切にお願いするもので、当後援会へのご入会、心よりお願い申し上げます。

 日沖 靖市長は、いなべ市に「誇りと愛着を」の言葉を使われますが、いなべ市の郷土愛では篠原市議は負けてはいません。篠原市議の活動報告のコラムのなかに「その土地をしらなければ郷土愛は育まれず」とあります。

 21世紀を不幸にしているコロナウイルスの一日も早い終息を願い普段どおりの生活に戻れることをお祈りし、後援会のご継続並びに新規ご入会のお願いのご挨拶とさせていただきます。

篠原史紀君 私の後をしっかり頼みます

初代後援会長 

故・伊藤 弘美様(元いなべ市議会議員)

 いなべ市民の皆様、平素はいなべ市議会へのご理解、ご協力、心より感謝申し上げます。

 私、伊藤弘美は、北勢町飯倉に在住されている篠原 史紀氏を市政を託す後継者として推薦致します。

 8年前、議会公報・会派だよりを創刊する時にお世話になったのが、篠原氏との最初の出会いでありました(篠原氏は当時42歳)。その時、いなべ市政の難問に関して尋ねたところ、市役所の部長でも答弁が出来ない問題を意図も簡単に説明して頂けました。3ヶ月後、農政について尋ねるとまたも非常に詳しく教えて頂きました。年齢は若く、何とも卓越した、幅広い知識・知見の持ち主であると驚かされると同時に感心を致しました。

 こういう人が市政の場に行かれて、行政の執行をしっかりチェックすると、市役所職員も日常の業務への力の入れようが違ってくるのではないかと想定を致します。

 私はご承知の通り、現在、現職中でございます。その現職である私が、篠原氏に自宅に来てもらい『いなべ市のために働いてくれ!!』と頼みました。

 現職の議員が、ライバルになる人に出よとは、他の議員では絶対に言わないと思います。それは、自分だけ立ち回りを良くしようとする私利私欲をが深い議員が多いからです。そうしたことを含めた私の思いを篠原氏でしたら理解して頂けるとも思ったわけです。

 篠原氏が在住している北勢町飯倉は小さい集落ではあり、また、阿下喜に隣接していることで、地区として遠慮をされてきたようにも思います。「その小さな地区から立候補予定者が出る!?」と思われる方も多いかもしれません。しかし、篠原氏は地区の大小が関係のない有望な人物です。

 何でも出来る篠原氏、私が無理やり出てもらった篠原氏。

 県外の出身で、毎日、取材などで三重県内、東海地方中を飛び回っている篠原氏を直接知らない方も多いかと思います。知らない方でございましても、長く市政の場にいさせて頂いています私、伊藤弘美を信じて頂き、ご支援の輪を広げて頂きたく存じます。

 いなべ市を良くする信念を持った人物に久しぶりに巡り会えたと。

 新庁舎、東海環状自動車道の建設、少子高齢化などが着々と進む中、市には様々な問題や課題がございます。そうした意味でも、来る11月の選挙は大変重要な選挙となります。篠原氏の在住地、飯倉地区の目と鼻の先に新庁舎と議会棟が出来ます。つまり、いなべ市の中心となります。

 22年間、職員の動き、議員の動きを見てきましたが、篠原氏なら、いなべ市の為、地域の為に絶対に働いて頂けると自信を持って市民の皆様に言いたい。

 私は、推薦は勿論、命を懸けて篠原氏を応援する覚悟でございますので、市民の皆様の格別な御支援を心からお願い申し上げます。


恩人・伊藤弘美先生、ありがとうございました。忘れません、あなたの言葉、笑顔を

(いなべ市議会議員 篠原史紀拝)

平成31年2月4日に、後援会長である、元いなべ市議会議員の伊藤弘美会長が、長い闘病生活のなか、御逝去されました。

伊藤弘美先生より頂いた御恩を忘れずに、いなべ市議として邁進を致します。

後援会長は、川瀬好次さんに引き継がれましたが、WEBでの伊藤先生の言葉は残しておおきたいと思います。自戒のために。

先生、ありがとうございました。