こどもらによせる

写真は、ぼくらがやってきた、民間野遊び学童保育、いなべ大きなもりのいえの冬休みのひとコマである。
いなべ市の長期休みの学童保育(放課後児童クラブ)が足りないとの、子育てママさんらの声から公設民営で立ち上げたが、制度が変わり、資金的に運営が厳しいながらも、スタッフらの献身的努力でなんとか運営してきました。
ボランティアに近いスタッフの待遇であるのに、本当に感謝しかなく、また、もりのいえに入りたいという見学者もいらっしゃいます。
もりのいえが最も大切にしているのが、こどもたちの意思で、イエナプランの学校のように、その日にやいたいことは、朝の会で、こどもたちが決めます。
また、食育と食への感謝の思いから、毎日の昼食も手元にある食材から料理を子どもたちが提案し、自分たちで作ります。
子ども同士のトラブルは、基本は、子ども達で解決させ、できるかぎり、大人は介入をしません。
これこそ、子どもが成長するための環境づくりだと考えています。
学生時代から好きな詩人に、ゲーリー・シュナイダーがいます。略歴は以下。
1930年、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。代表作の詩集『亀の島』ではピューリッツアー賞 詩部門を、『終わりなき山河』ではボリンゲン賞を受賞。アレン・ギンスバーグやジャック・ケルアックなどとの交友関係は有名で、(しかし本人は、自身をビートと結び付けたがっていない)1950年代前半には「ビート・ジェネレーション」の詩人として活躍した。1956年から1968年までの期間の大半は京都に滞在し、相国寺や大徳寺で臨済禅を学んだ。この時期には宮沢賢治の詩の翻訳も試み、「春と修羅」などの一連の作品の英訳が『奥地』(The Back Country)に所収されている。また、ナナオサカキ、山尾三省らと鹿児島県のトカラ列島に属する諏訪之瀬島にコミューンを作り、移住した。
アメリカに帰国後は、地域に根ざした環境保護運動、カリフォルニア大学デービス校の教授など多彩な活動を展開した。スナイダーの作品は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの作品を原型とする自然文学、いわゆる「ネイチャーライティング」の系譜に位置づけられる。2004年正岡子規国際俳句賞大賞を受賞。
ゲーリーに影響を受けたミュージシャンをたくさんいます。
私は「こどもたちのために」という詩がずっと心にささっています。
この詩に曲をつけ、「こどもらによせる」というタイトルで歌ったのが、私が尊敬しているヒッピーミュージシャンの内田ボブさんでした。
以来、この詩と曲は、私がすべきことの指針のベースになっています。
子供たちのために
ぼくらの前にそそりたつ
統計という名の せり上がる丘
伸び上がる斜面
何もかも ひたすら上る険しい道
僕ら全て落ち行くかのよう
噂じゃ次の世紀あるいはその次の世紀
谷や牧場あり、もしうまくゆけば
そこで僕ら平和に集っていると
もしうまくゆけば
迫りくる峰峰 上るため
きみに 君たちに
そして君たちの 子供らによせる
ひとこと
子供らによせる ひとこと
離ればなれにならない
花ばなを学び 花々の道を
よそおい軽く あるいてゆけよ
stay together
learn the flowers
go ligh
統計などに縛られることなく、各自が有する花を見つめて、その花々を咲かせてほしい。
そして、離れ離れにならず、よそおい軽く あるいていってほしい。
なんども申しますが、人と比較することはない。合わない居場所に執着しない。
深く思い悩むことなく、軽々、しなやかに物事を考える。
ねばらない。こうすべき。を捨てる。
これが、私の子育て、子ども政策の基本的な信条なのです。

いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

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