あの嗚咽を忘れない

長女が高校へ行けなくなったのは、高校2年のはじめ。

親として、どうすれば良いかわからず、ただ、居場所だけはなくしてはダメだと思い、家(部屋)にいられること、家にいるときは、学校に行けない、行かないことにはふれずにいた。

夜な夜な聞こえて来るのは、娘の嗚咽。多分、自分を責めていて、どうしょうもない現状へのストレスを泣き叫びはらしていたのだろう。

親として辛かった。しかし、その辛さを見せれば、娘はどんどん自分を責めてしまうだろう。娘が自発的に相談にくるまで、見て見ぬ振りをする。接するときは、いつもと変わらずを心がけた。

学校の対応は、まあ、それなりに。だが、マニュアル通りという感じだ。どんなに教師やカウンセラー話を聴いても、システムの中での行為に、過敏な子どもは心を開きにくい。子どもは大変クールな生き物だ。私が子どもならば、そうであろう。

真冬の定期試験。この試験に行かなければ留年となる。娘は、最後の力を拭い絞り高校へ出かけたが、高校からは来ていないと。連絡がとれない。

しかし、娘は夕方に帰宅した。

学校の寒いトイレにずっと隠れていたと。

これを聞き、他の高校への転入を進め、娘も頷いた。

その高校は県下有数の進学校だった。膨大な課題に対して、娘はけなげすぎた。つまり要領が悪かったのだ。できる子のノートをうつしたり、課題をやったふりができなかったし、できなくて注意されても上手に受けながすことができなった。

学校側は、大丈夫、転入があります。と前から言うが、公立高校の転入先など、数が知れている。定時制的な高校しかなく、つまりは、高校卒業の認定がとれるぐらいで、進学を考えるなら自力しかない。高校側は、それを、転入は可能であると言い張るのだ。

それが嫌なら、違う高校に試験を受け直して入り直すしかない。そのハードルは精神的にダメージを受けた子どもが超えるには大変高いものであると、大人なら理解できると思うが。

「娘・・・転入させます・・・本日までありがとうございました」

私が言った言葉。それに対して、一瞬安心したように、担任が笑った。

反射的に、その笑いにブチ切れた・・・・気がついたら、大声で、担任と教頭を叱責していた。感情を制御できなかった。

定時制高校の先生方は、本当に生徒に寄り添っていただけた。卒業式の時に、先生方全員が大泣きしてくれた。なぜ、かの高校の教師は、こうした寄り添いができないのか。

そんな娘は、自力で公立の短大に入り、しかし、またつまずき、中退した。しかし、非正規であっても、今は、しっかり仕事へ通っている。

また、次男も中学校で一度学校へ行けなくなり、高校でも途中で行けなくなり、通信の高校へ編入した。

対応は、基本、月1回程度のカウンセリグしかなかったし、幼少時代の彼の感受性の高さから、親としては、そもそも今の公教育が合わないのではないかと確信してもいた。

でなければ、こんなにも、国内での不登校の子どもの激増の理由がわからない。

いくら小手先の教育改革をやっても、ベースが変わらねば、激変した時代の中での子どもたちの感受性に合致した教育現場にはならない。

うまく歩いてこれた、いや、ただただ、順応してきた学校の先生には理解できないだろう。

世の中の変化は凄まじく、適応するためには、それなりの武器を、今の若い人は持たねばならないのである。綺麗事だけでないのは、教育現場も同じではないか。

私と同じことを思う人が、以前に比べて間違いなく増えた。公教育でも、それに気がつた自治体は、民間から教育長などを迎え、新しい学校をすでにスタートしてもいる。

その変化に気がつけないのは教育関係者ばかりでなく、何の疑いももたず、学校に行くのが当たり前、今までの進学→それなりの大学→安定した企業への道程になんの疑いを持たない大衆。不登校の子どもや家族へ対しては、意識すらできない感受性のなさを棚に上げ、平気で差別発言を繰り返すものたち。日本人の人権意識などそんなものであり、子どもの人権に関しては、何度も国連から勧告を受ける後進国である。

あの娘の嗚咽は死ぬまで忘れない。この国を案じながら、子どもたちを守り、この国の未来をつなぐために、命を懸けたい。


いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

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