あくまで、私自身の思考メモなので、特定の人や事象について書いているわけでないことを了承していただきたい。また、書きながら不肖な自分自身を内省しているのでもあります。
55年間生きてきて、俗に言う「頭の良し悪し」とは何かを考えてみた。
人が長く生きて行く醍醐味の一つは経験を増やすことであり、それが心身の肥やしにでもなれば、進歩や成長につながる。
「昨日よりは少しはましにはなったぞ」
この感覚は、どんな人でも生きていることを実感し、次に向かうモチベーションを喚起させるだろう。
経験とは、新たな価値との出会いと吸収。自分にとって未知なるモノ、コトとの出会いと需要がベースになる。だから、謙虚な素直さとは大変大事で、ここでこそ発揮されるものだ。
しかし、時々、私の考えが全て正しいという人がみえる。
どんな意見交換を交わしても、また、傾聴的な譲歩をしめしても、自分の現状の考えを再考すらしない人。多分であるが、できないのである。
あまりに、コンプレックスが強く、自己肯定感が保てず、自分の価値観を少しでも他人の意見により揺らがすことはできないのである。
でも、これは悪循環である。どんどん人は離れていく。一番、話さねばいけない自分を成長させてくれるような価値観と姿勢を持っている人ほど、 そうした人からは離れていく。
そして、その人は成長できない。本来の経験を自分のものにできない。
できても、異常に時間がかかり、大いなるロスをすることとなる。
「苦労は買ってでもしろ!」
注)まあ、人生に対して前向きに心を開いている本人は決して「苦労をしている」とい自覚はないと思うが。これは美談的な精神論でなく、一種の経験哲学である。
自分で自分の可能性を閉じてしまう人。
そうした人は、何とも頭が悪い。と感じてしまう。
本当の意味で、自分の人生を生きてはいない。
多分、いずれ年を重ね、修正が不可能となった時に、それを自覚することとなり、大いに苦悩するはめになると思える。
人生を本当に豊かにするためには、自分も思いつかないようなパラレルワールドの存在を肯定し、軽やかに行動することである。
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