太陽に続くハイウェイ

中学時代の夢は、フォークシンガーだった。アコースティックギターにミディアムゲージを張って、ガンガンにかきならす!長淵のラジオから聴こえてきたのは「ギター1本裸で勝負!」。アコギ1本で何千人を魅了していたあの時代である。

大学4年の時に休学し、半年バイトし、単身、アフリカへ飛んだ。我々の世代は、丁度、バックパッカーが流行り出した頃。格安航空券を自分で手配し、ほとんどが、インドやタイなどアジアに向かったが、私は、悩んだ末に人類が誕生した地、東アフリカのタンザニアを目指した。

アブダビでトランジットし、ケニアのナイロビへ。初めての海外の旅。ナイロビの国際空港のロビーは無論、黒人だらけ。機内で知り合った日本人を迎えに来ていた車に便乗させてもらい、その運転手に安宿を紹介してもらう。

ヘッドフォンから流れるボブ・マレーの『エクソダス』。黒人の悲惨な歴史に多々出会う旅であった。

帰国後、私が大学の劇団に1年間いないうちに、私の居場所がなくなっていた。ある人物が、私の代りに中央にいた。まあ、1年間もフラり海外に行っていた私も悪かった。自分で設立した劇団を後にし、知り合いのライブハウスを訪ねた。1年間、歌わせてもらうこととなる。

アフリカでの体験をもとに書いた曲『アフリカにて』。

私がケニア、タンザニアで出会った黒人たちの物語をベースに詞を書いた。黒人賛歌である。いや、人類の悲哀か・・・

流れで、映画音楽を歌うシンガーのオーディションを受ける。結果は合格した。毎週のように大阪にボイトレに通ったが、どうも、事務所とそりが合わない。アイドル級のオーディションではなかったので、宣材写真の撮影やレッスン料は持ち出し。そうそう金が続かない。数カ月後、プロデュサーにかけあい、辞した。

1年後に封切られた映画。知らないアイドルが主題歌を歌っていた。あまり映画も歌もヒットしなかった。

そのオーディションで歌ったのが、長淵の『太陽へ続くハイウエイ』であった。

なぜ、その歌だったのか覚えてはいないが、歌い終わった時の会場の静寂だけは覚えている。

誰でもかたちの違いはあれど、思い出の、青春の1ページである。今、考えるとビジュアルも悪く、身長も低い私がそうした場に立てたはずもなかろう。

しかし、あれから、戯曲を書き、ライターになり、編集者となり、やはり、劇団を続けいぇいる。もう51歳となった。

長い間、10代の頃から、創作し表現するという意味では、ぶれていない自分。そして、そこには自分なりの正義があった。

だからだろう、昔から私を知っている者ほど、今回の私の決断に驚く者はいない。

『やはり、篠原は政治へ行ったか?』『篠原らしい』と。

今日もひたすら歩いた。太陽へ続く道を。

午前中は雨であったが、常に私の視界に赤く燃える太陽が見える。

特に、青年(若者)たちよ、人生とは、そのくらい熱くなければ、意味はない!

と、50歳を越えたオヤジは本気で思っているのだよ!

今日も、感謝!明日も、頑張ろう!


いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

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