もう10年以上も前の写真。東海ウォーカーでモデルロケをしてる私の写真。長野県か岐阜県で滝をバックにモデル撮影をしている時ではないかと思う。
大学を卒業し、演劇の世界に入りべく、三重に残りバイトをしながら上京のための資金を稼ごうとしていた時に、何となく自信がなく、人の紹介で四日市の広告代理店に入社したのが、ライターとしてのスタートでした。
やはり、人生は、えい!やー!でいかないといけない。あれから、独立し、自分で会社を設立し、何となくうまく行ってしまい、結婚をし、数十年の時が流れ、すっかり、三重の人になりました。
しかし、時々、思う。やはり、東京で勝負したかった・・・。
昨日、NHKでドラマ「スローな武士にしてくれ」を視た。私が大好きなつかこうへい氏の「蒲田行進曲」のオマージュであったことは、ネットでもいろんな方が書きこんでいた。丁度、つかさんが亡くなり10年となる。銀ちゃんシリーズの最終本「銀ちゃんが逝く」を読んだ時は涙がとまらなかった。
つかさんの描く世界に悪者がいない。それぞれが、それぞれの人生の中で悩み、苦しみ、必死にその方の人生を生きている。のほほんと生きることができている人には決して視えない、その懸命さを、私は美しいと思う。
特に、浮かれた今の時代。夢や成功すら、かたちあるものとして、プロパガンダされる今日、足るを知らねば生き切れない庶民の暮らしには、自信と有る種のいい加減さが必要不可欠である。しかし、それには、やはり、相互に助け合い、正直者が報われる正義がないと、成立はしない。貧しくも、やはり、正義がある世の中こそ大切なのである。
ああ、また、タイトルから逸してしまった。
この世に生を受け、53年。演劇人として生きてきて35年。ライター・編集者として生きてきて、30年。市議会議員となり、まだ3年目である。
最近、私は自己紹介をする時に必ず、「市議会議員の篠原ではなく、市民でライターという職業の篠原が2017年に市議会議員になったのです」と話すようにしている。
市民の方に与える「市議会議員」という肩書きのインパクトは、良くも悪くも大き過ぎる。大概、市議会議員と名乗ると、ちょっと先輩な方は「先生ですか?」という反応を示す。その言葉には、いろいろな意味を含む場合が多い。
しかし、こちらからしてリアルな話は、「確かに市議会議員をしているが、私も市民であり、市民側の人間である。その視点で選挙に出て、当選させていただき、働いているのである」です。
公金で報酬をいただき、暮らしに大切な市政に携わり、議決権を有する身として、特別職の公務員という位置づけは、無論、重要である。だから、市民への市政情報の配信は道義的には義務であるし、市政運営に問題があるのなら、叩かれ批判されることも致し方ない。
しかし、市民と肩書きだけで距離が出来てしまうのは、全く本意ではない。
「市議会議員」という肩書きが精神的な壁になることには、敏感でいたいものです。
追伸
新型コロナウィルスの猛威にて、市民生活が大変、厳しいものになりつつあります。
お困り事がありましたら、ぜひ、メッセージをください。
私で対応できることは、対応いたします。
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