風立ちぬ。創風会2020始動

「風たちぬ」。

私が好きなポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」に出てくる言葉。

Le vent se lève, il faut tenter de vivre(風がおこる。生きようとしなければならない)。「風は立ち、消え去る。そのように人は生き続けなければならない」といいかえられます。人は良い時も悪い時もあります。ぞれが自然。また、風のようにどこにでも吹き抜けるしなやかさ、力強さは実に大切です。いろいろ地方は大変な時代。故に、暮らしは助け合わねばなりません。特に若い世代はそれに気が付き初めています。

「風を知り、風を創造する」。それは我々の使命。

令和2年1月7日。いなべ市議会会派「創風会」の4人の議員は年頭に集い、いなべ市役所の全課に新年に挨拶まわりをしました。

改選から2年間、清水隆弘会派長が副議長を務めました。林正男議長、水谷治喜議会運営委員長と協力し、議会改革を進めてきました。

今、どこの議会でも「改革」が叫ばれています。

「議会とは何か?どうあるべきか?」

政治不信の逆風の中、また、町村議会を中心に議員の成り手のいない中、近年にそうした議論がかなり強く行われることとなり、「議会はこうあるべき」を明文化した議会基本条例を制定する議会も全国的にかなり多くなりました。

いなべ市議会も、平成29年3月24日本会議で制定。

https://www2.city.inabe.mie.jp/reiki/reiki_honbun/r031RG00001013.html

ごくごく当たり前のことが書かれていますが、この当たり前のことがすごく大切です。そういう意味では、当たり前なことがなされてこなかったという実態であったとも言えます。

議員は名誉職である。

多分、そんな時代が長く続いたのでしょうし、日本も景気が良く、国も地方自治体も予算編成に苦慮もしなかったため、力ある政治家がどうとでもできたのでしょうし、市民の要望も果たすことができた。つまり、あまり考える必要がなかったのかもしれません。

しかし、金銭的に厳しい時代となり、やはり、しっかり細かい政策まで監視し、場合によっては予算の組み換えなども提案しないといけない。こんな時代に政治家をやるのは、かなりの勉強や資料収集、他への視察などをしっかり行わないといけない。そして、かなりの議員活動に時間をさく必要があります。

市民の時と感覚は明らかに変わる

私は議員になる以前から政治には関心がありましたし、いなべ市議会の会派の広報誌の作成をお手伝いしていたので、市政の動きはかなり視ていました。そうした中、市政に対していろいろ批判をしていました。まあ、責任のない批判。平易に言えば、言いたい放題です。それが悪いとは言いません。市民感覚の問題定義です。

しかし、いざ、自分が議員になり、一般会計約280億円の予算書や決算書に全て目を通すと、いかに限られた予算を配分しているかがわかります。また、市民が働く民間に委託などしている事業も大変多いのです。つまりは、市民生活を巻き込んで利害関係もある。

何かの予算を増やすなら、何かの予算を削るしかない。もしくは、県や国の補助をとるか、企業誘致による増収などで新しい財源をつくる。

新しいことをしないと、市のブランド力も上がらないので、外向けの事業も立ち上げて、投資もしていかなければならない。

全体を見ると、無責任なことを言えなくなります。いや、まずは、調べ、根拠を示して、現実的な要望や提案をしなければならない。

「政治家になったら変わった!」

私も以前はそんな言葉をはきましたが、今は「政治家になったからこそ変わった」と言えます。まあ、実際、選挙前だけ頑張るという方もいなくはありませんが・・・。

広報こそ議会改革の要


私はライターであり編集者です。25歳から雑誌業界に飛び込み、30歳で独立。フリーランスとして23年間、編集の世界で飯を食ってきました。多くの団体や企業の広報誌のコンサルもしてきました。

しかし、議員となり、議会広報編集委員会へ新人議員として入った時には、精神的にも大変でした。先輩議員さんには、「今まで私たちが編集してきた」という自負もあります。まあ、そうした自負はわからなくもありませんが、素人には変わりません。編集というものの考え方そのものが全く違います。編集はレイアウトを美しくする仕事ではではありません。それはごくごく一部です。編集業界に入った時に、先輩から言われたことがあります。

「どんなに必死で作っても、読まれずに捨てられたら只のゴミ」

行政広報誌や議会広報誌などは、「ゴミ」になる可能性が大いにあります。特に、若い世代は存在するら意識していない方も多いかと。

それに、議会広報誌は、日常使わない言葉のオンパレード!どこか遠い世界の話。

先輩議員といろいろ議論を重ね、2年間、つまり、8冊(4定例会×2年間)で、徐々に紙面改革をしました。

表紙も含めて、私がアドビのイラストレーターを使いデザインしたページも多々あります。しかし、まだまだ足りない。言語表現をもっと軽くしないといけない・・・・。

そんなわけで、残り2年間は広報編集委員会の委員長になりたかったのですが、委員の選出方法が変わり、副議長が委員長を兼務することに。故に、副委員長を希望し、委員のご理解を得て、就任することができました。

小川幹則副議長(委員長)の許可を得て、12月定例会の報告号(市民には2月に配布)から、誌面構成など企画から立ち上げております。

今回は時間がなかったため、一番大切な「編集方針」を3月定例会までに示し、この2年間の議会広報誌の編集の方向性を示して参りたいと、個人的には考えております。

「議会や議員なんか何をしているかわからん!」

それが一番のご批判かと思います。まずは、議会や議員を身近に、また、中身に興味を持っていただかないと話にならない。それが、議会改革の要。私は強く思います。また、編集者の私が活きる一つの道です。

また、そうしたことを踏まえたうえで、新しい議会の担い手も出てきていただきたいです。議員はやり甲斐のある尊い仕事です。本気でやればかなり大変な仕事です。批判も多く、結果が全てです。同時に、市民もしっかり見て、投票行動をする。

これが主権・民主国家の基本です。

創風会の役員人事結果

すっかり議会広報の話になってしまいましたが、会派に話を戻します。

12月定例会の初日に新しい議会人事がありました。結果、我が創風会は全員が役職を拝命することができました。

清水隆弘議員ー議会運営委員長 

片山秀樹議員ー総務経済常任委員会 副委員長 

伊藤智子議員ー監査委員 

篠原史紀ー広報編集委員会 副委員長

伊藤智子議員が議会3役に入りました。

また、本日、会派の動きを確認し、2月14日に愛知県犬山市へ視察を行うことを確認しました。テーマは2つあり、「まちづくり会社によるまちづくり」「議会改革先進地の取り組み」です。

私としては、以下が喫緊の課題で、優先的に取り組みます。

①個人ニュースの発行と後援会活動の充実

②座談会やミニ集会(市政報告、市民要望会)の実施

③阿下喜の町中に政治と会社事務所を移転(西町のヒトトキさんの2階へ)

④地域政党(仮称:いなべ暁~INABE AKATSUKI~)旗揚げの準備と市政(政治)塾を主催

2020年の五輪イヤー、さらに躍動します。

いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

ようこそ、いなべ市議会議員 篠原史紀 (しのはらふみのり) のWEBサイトにおこしくださいました。 私はもともとは雑誌などの取材をしているフリーライターで、また、編集者でもあります。議員活動のほか、いなべ市ほか地方を活性化させるため取材や配信活動をして参ります。篠原の活動を応援くださる方は、後援会へのご入会をお願いします。 #いなべ市議会議員 #篠原史紀 #しのはらふみのり #いなべ市議会議員選