「職業としての政治」。政治家の資質を問うたマックス・ウェーバーの名著である。なぜか覚えていないが、政治に興味を有した高校時代に読んだ。現代は大変便利な時代である。解説している良いサイトを見つけた。
https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-weber-politik-als-beruf/
ウェーバーは言う。「政治家を生きる上で、情熱(Leidenschaft)、責任感(Verantwortungsgefühl)、判断力(Augenmaß)の三つの資質がとくに重要であるといえよう。」
また、政治家の信念については以下のように言う。
政治家がそのために権力を求め、権力を行使するところの「事柄」がどういうものであるべきかは信仰の問題である。政治家が奉仕する目標は、ナショナルなこともあれば人類的なこともある。
つまり、その政治家にどの程度、世の中をに良くしたい、人々の暮らしの安心を護りたいという、個人的な思いをしっかり有しているか、持ち続けているかが、政治家であるための必要条件であると言えよう。
市議会議員を拝命し、任期4年間の半分の2年間を終え、次の半期2年間のスタートラインにたった。
私も、議員になる前からかなり多忙な毎日を送ってきたが、議員生活の2年間は人生の中でも特別濃いものとなった。単に一市民であった時は、何も考えずに、行政運営や社会に対して、意見や批判が言えたが、実際に市政の場に立ち、予算配分や市民間の利害関係、その歴史、成り立ち等を詳細に知れば知るほど、現状を大きく変えることの難しさに苦悩する日々である。勉強することも膨大である。市民の考えや意見も実に多様である。また、事実、政治に無関心な方も多い。
また、議員同士の政治信条、つまり、軸足が違うために、議論し合議形成するのが非常に大変であるのが現実だ。妥協や折衷でしか、物事は進まない。
あるベテラン政治家がおっしゃった。
「政治は人が動かしているのだから、実に難しいよ。正義は人により違うし、かけられる予算は限られているからね」
正義は人により違う。
ダイバシティ(多様化)を認め合う時代だが、軸足が違えば、それはバラバラになることを意味する。個人の権利を主張しすぎれば、公共はなりたたない。自己肯定と我がままの境とは。
そんなことを考えると、政治家は、かなりの多角的思考ができる知識と高度な判断力を有していないと、今後、ますます政治は荒廃するだろう。いや、人知でなく、AIのほうが正しい道に導くかもしれない。政治家は、少なくとも、地方議員などは不要となろう。
「私は政治家でいるべきか否か?」「政治家でいてもよいのか、資質はあるのか?」
最低限、この自問自答を繰り返す必要があるだろう。
2年後には、選挙がある。つまり、私は、この残り2年間で、政治家を続けるべきか辞するべきかを決めねばいけないだろう。また、政治家を続けると判断した場合、このまま市議でいるか、違う立場を目指すかも、2年後に55歳という年齢的を迎えるため考える必要がある。中堅だが、もう若くはない。
また、一度、踏み入れた人間として、少しは中が見えたので、市民としてオンブズマンや地域政党の世話人などという選択肢も将来的にはあるかもしれない。
あくまで私見だが、安易に政治家を目指す者、その座に居座る者も多いと考える。
そんなに田舎ではない、いなべ市内には優秀な方は、老若男女問わず、たくさんいる。そうした方が地方政治の世界に興味を有してもらい、立候補できる体制の構築がされなければいけない。
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