「ものを書いて暮らしている?おまえはしっかり働いとんのか?」
「写真撮影で金をもらうなんて、おまえの仕事はやくざやの」
前に、こんなことを言われた経験が幾度かあります。そんな私が、市議会議員選挙に出たのだから、それに、よそ者だから、尚、不審がる方も多々いたのだろうし、いるのだと思います。
また、ギター弾いて弾き語り。劇団で演劇活動!?
ますます、胡散臭く、変です。特に、地方の田舎では・・・・・
音楽に出会ったのは、小学校6年生の時。アリスがかっこよかった。ただ考えてみると、音楽がすごく好きだったことを思い出します。特に歌。沢田研二が好きで、よく教室でアカペラで歌ってました。なんか、仲間と喉自慢みたいなことをしていました。中学でギター覚えて、すぐに曲を作りました。大好きな小学校時代の先生が、詩が好きで、小学校2年生の時に詩集づくりを奨められた。あれから、日記や詩を書くのが日課になっていたことも、曲づくりに繋がったのだと思います。言葉を研究しましたね。多分、あれが、物語(演劇)を書く原点になったのだと思います。
創作し、発信をすると、いろんなイベントに誘われるようになる。そこには、いろんなクリエーターが集まります。そうした方は概して、左ですが政治も好き。いや、社会問題に関心があります。高校時代には、そんな方々も近くにいました。
私達の世代はフォークソングの影響を受けたニューミュージック世代。つまり、先輩らはフォーク世代。ともすると学生運動をやられていたような方。音楽の場を通じて、いろいろな思考や思想のシャワーを受けました。だから、歌は趣味以上のものがあります。まあ、他人からみたら完全に趣味なのですが。
浪人時代に、東京でストリートパフォーマンスが流行っていて、たまに、原宿や渋谷へ観に行きました。街頭芝居が面白く、大学へ行ったら演劇をやろうと。やはり、やるだけでは飽き足らず、自分で劇団を作り、自分で台本を書いて、芝居を創りました。これが、ライターという仕事の原点で、その後、本を編む編集者となりました。
いずれも、調べ、考え、まとめ、配信する(表現する)ということばかり。
ラッキーだったのは、名古屋を含めた東海地方の情報が、あまり、東京へ流れていなかったこと。ですから、東海在住の編集ライター、プラス、写真まで撮影するというスタイルは、東京の出版者からすれば重宝だったのだと思います。それに、私は政治、経済も好きだったので、かたいネタも取材し、書くことができた。
また、30歳の時、独立。その当時、MACをベースにしたDTPの流れとなり、高価でしたが投資をすれば、デザイン業へ参入することができました。かなり、初期から広島の印刷通販会社と取引して、印刷費をコストダウンできたので、チラシやパンフレットなどの仕事もたくさんできました。また、単価も非常に良かった。今のデザイン屋さんは、すごく大変だと思います。
議員になれたたのは、私を推薦してくれた先生のおかげです。一方で、歌、演劇、物書きの流れから、素地はあったのかなとも思います。
調べ、考え、まとめ、配信する。とにかく、なぜ?なぜ?です。それを足を使い取材し明らかにする。
しかし、まだまだ、目段階で覚えることと、かたちにするためのスキームがしっかり見えないので、経験値が足りないのは否めないです。
また、そこにはジレンマがあります。
どうしても、選挙がちらつくと、選挙対策的に行動がなっていきます。多数の葬儀へ出たり、イベントごとに単純に顔を出しまくったり。確かに市民と接することは必要ですが、じっさいは、あまり身のある話となりません。やはり、真は問題意識を有し、その課題を解決するために、足を使うという仕事が本分かと。でも、それだけでは、選挙に勝てないのも事実です。
「あいつは、葬式に来なかった」と市民の方が言うことも現実なのです。
「葬式なんて行かなくていいですよ」と若い世代が言いますが、その世代は選挙に行かないと来た・・・・ジレンマです。
劇団では、よく政治の話、人々の暮らしの話を、創作活動の中でします。また、人間とは?という最大な命題を。文化の場でも、文学や演劇、また、音楽の世界は、そうした話ができる世界なのです。そういう意味もあり、また、ストレスを一気に解消するための非日常を体感するという意味で、歌や演劇にも力を入れているというのが、今の私のスタイルです。
でも、12月定例会で中断してしまったブログ。こりゃいけませんね。しっかり、発信して参ります。
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