いよいよブレードランナーの世界か。

「篠原さん、最近は四日市に来られていますか?」
最近、旧知の友人(若い女性)、2人から問われました。


いなべ市へ移住する前は、長い間、四日市に住んでいましたし、自分が経営する会社の事務所もありました。しかし、いなべ市へ移住して14年。また、2年前に四日市の事務所を引き払いました。それまでは、毎日、四日市にいましたし、議員以外の活動のベースは四日市でした。


「たまに行くけれど、最近は、桑名から名古屋へ行く。いなべ市からの距離感を体感しておくのと、名古屋を上手に使いたいから」

「なるほど。篠原さんらしい」

クレバーな彼女たちは、私の意図をすぐに察したらしい。


いなべ市から名古屋。ぼーっと考え事をしながら1号線を走れば、気が付けば、熱田区ぐらいにはいる。熱田からは、名古屋の方々へどんなルートをとってもアクセスできる。
つまり、いなべ市民でも名古屋は完全な生活圏である。


逆に言えば、そのくらいの感じで、名古屋からいなべ市には来られるのだ。


この感覚を心身に入れて、いなべ創生を考えねばいけない。私はそう思っている。


必ず、大須を歩く。
大須は、かつては秋葉原と同じ、電気屋街であったが、15年ぐらいまえから、やはり、アキバと同じようにオタクやアイドルのまちとなった。
また、数年前、タピオカが流行ったころに、台湾屋台のような店がやたらに増えた。

目に見えてインバウンドのアジア人も増えた。

大須というまちは、常に、蠢いて変化を繰り返す。
つまり、そのぐらいアンテナがたったまちなのだ。



というわけで、表紙写真は、台湾あんみつなるもの。
スイーツおじさんとしては、甘いタピオカとバニラアイスの相性もよく、大満足だったが、店内には、様々な言語が飛び交う。日本語、ハングル、ポルトガル語、英語・・・。
香港の威勢のいい広東語と思われる言葉も交錯していた。
いよいよ、日本もあのSF映画の名作ブレードランナーのようになってきた。
それを確信したのが、東仁王門通り。

ここはどこの国やと思うぐらい、他国料理の屋台が並ぶ。各屋台の雰囲気が、その国を雰囲気を表すような作りで、その前に、外国人がたむろする。ゲストハウスが多ければ、昔のバンコクのカオザンのようだ。
こんなんだから大須はおもしろいし、なんか、日本が行き着く果てにも見えてくるのだ。
また、たくさんの若者が並ぶおにぎり屋、似顔絵専門店などなど、都市部の若者のニーズや新しい実験的な商売もある。

万松寺近くのビルの中、アイドルショップの隣に、古い電気屋があり、古いパーツが無造作にぶら下げられている。この混沌感がたまらない。


さらには、その万松寺。私は勝手にお寺の最先端と思っている。
カラフルに輝く液晶看板。多彩なデザインの御朱印。からくり時計に、巨大な白竜の像。
完全に現在を肯定し、今のお寺デザインを提案している。
若者もひっきりなしに詣でるが、身代不動尊に、2礼2拍手1礼は、なかろう。とみていたが、後に続く、若い女性たちも同じスタイルで、寺へ参る。
まあ、そのぐらい、常識なんてものは破壊されているし、
そんなもんはどうでもよいという、江戸時代の庶民のように、今の若い人たちは楽天的なのかもしれない。
名古屋は、実におもしろい。

さて、そんな名古屋へ向けて、私たちは何を発信すればよいか?
いなべ市はしっかり見えているだろうか?

いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

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