一冊の本を読み終える。
人生とは読書のようなものであり、1冊の本を読了したからといい、終わるわけでない。
また、途中まで読みかけて、何か違うと思えば、読むのを中断しても良いし、また、違う時期に読みたくなれば、続きを読めばいい。
意味なく、最後まで、読まなければいけない。とか、
誰かが勝手に決めた課題図書や、何か特別な賞を受賞した書籍だから読まねばいけないわけでない。無論、それは、漫画やアニメ、ゲームなんかでもよい。
ただ、自分の人生を楽しむのに、与えられた、ねばならないはいらない。
また、ひとつの物語を書き終え、劇団のみんなのおかげで、舞台にできた。
大学時代に、ある演出家が言った。
公演日は、この芝居のお葬式だから、そのつもりで演じるように。
なかなか再演なんてものはないし、再演したとしても、同じキャストで上演するということは、ないに等しい。
それに、映像と違い、同じ演目でも必ず、違うものだ。
今回の「弔いのクリスマスパーティー」も客席で3回とも観たが、役者の間合いやセリフ使い、また、なぜかわからぬが客席の雰囲気や、たぶん、その時の気温や時間帯でも、笑いの場所や涙する場所は微妙に違う。
人は、なんとも安易に、あやふやに、「同じ」を口にするが、実は、同じものなどは、技術革新の道具を使用したコピー以外には、存在しない。
いや、そのコピーも見る側の状態により、全く、違うものに見えることも大いにありうる。
同じ本や映画を、全く違う時にみれば、かなり印象が違うことを経験した人は少なくないだろう。
その微妙な差や変化が、進化を生み出す。
差や変化がなければ、生命を繋ぐことはできなかった。
だから、同じこと、変わらぬことを語る自体がナンセンスなのだと
私は、学生時代から思ってきた。
周囲から、変わっているとか、ずれているとか、言われたなら、
それを大いに喜んでほしい。
君には限りない可能性があるし、未来に向けて、何かを残すことができるかもしれない。
そんな思いを胸に抱きながら、私は、戯曲を書いてきたし、これからも、書き続けるだろう。
2022年のクリスマスに、この歌をすべての人々へ。
メリークリスマス!!
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