私が何者なのか、知らない方はたくさんいます。
1996年(30歳)に独立し、三重県で最初であろう編集プロダクションを設立しました。
今、じっくり自分の人生を振り替えば、なぜ、山梨県出身の私が、上京しなかったのか・・・。人生とは、不確実に身を任せれば、縁という短絡的な言葉で片付けてしまいがちにはなりますが、縁ということにしておくのが、良い場合もあります。
後悔も、肯定も、要は自分次第です。
しかし、恵まれた独立でした。売り上げは大いに確保でき、会社は順調に伸び、それなりに大手や信用できる団体等、取引先に恵まれました。
一方で、時代の流れが早く、その恵みの上にあぐらをかき、シフトが遅れてしまったのは事実であり、事業としては、この約5年ぐらいは、惨憺たるものであると言えます。
時代は、紙媒体からネット媒体へ。様々なネット媒体が登場する中、ライターのような安価で混沌たる、書く仕事の乱立を前に、かなり迷いが生まれてしまいました。
これは、安価なPCとソフト、DTPデザインの大衆化、印刷通販の拡大を受けて、デザイン業、広告写真業も、安価で手軽さを背景に、混乱が生じました。
しかし、現在は、この乱立に対して、質を求める時代となり、力がある人が稼ぐことができる時代なったことに、希望を見出してもいます。
まあ、本当のビジネス的で多角的かつ広範な知識や見識を有するライターやカメラマン、広告マンしか、しっかり稼ぐことができないため、本当の実力が試されるのでしょう。
しかし、いつの時代でも職人は搾取される対象です。
現代的に言えば、本当に利益を得るのは、プラットフォーマーなのです。かといい、ローカルマーケットでは真のビジネスチャンスは乏しく、生業をなんとか維持するのが関の山。少ない利益の代償として、何から何まで、少人数でこなさねばならなくなり、ビジネスとしてはすぐに破綻します。まあ、無理がきく若い時にはなかなか気がつけないのですが。
地方公共団体の首長、職位、我々のような地方議員の仕事も、もうローカルだけで思考していては、今後のネガティブさをはらんだ激変に対して、希望ある未来への議論はできません。いや、政治ででできることは多々ありますが、政治だけで解決できると思うのは、一種の欺瞞とも言えます。大いに実態は悲惨であると言わざるをえませんし、現状ではAIに判断を任せた方が賢明かもしれません。
勘違いをしていただくはないのですが、これは自己否定ではありません。本来、民主主義とは何かというアンチテーゼです。
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