世の中から見えないもの(2023.2.19)

本日、桑名市の柿安ホールで開催された、第8回東海三県小児在宅医療研究会に参加した。

友人のお子さんが、重度の障がいがあり、その方は在宅で面倒をみられている。以前から、様々な相談を受けてもいた。

2020年に超党派の議員立法で、医療的ケア児童支援法が国会で可決された。それを受けて、都道府県を主体として、医療的ケア児に対する支援体制が整備されてきた。

2022年の三重県の調査では、医療的ケア児が306名、内人工呼吸器を要する児童は79名おり、国が示した推計値より高い人数となっているが、この数は、あくまで調査できた人数であり、きっと、どこにも相談できず、親の力でなんとか世話をしているという子どもは、ほかにもいると考えられる。

障がいのある方への支援をする2団体に、私も、属している。

だから、障がいのある方は、身近にいるという意識は常にあるが、日本は、長く、障がい者を施設などに入れ世の中から隔離するという政策をとってきたため、多くの人の意識の中に、障がいのある方が存在しない。また、無意識的に異質な者との意識も強く、悪気なく、差別的な発言したり、偏見を持つ方も多い。

ただ、検査方法が確立されて以降、発達障害を有する子どもたちの数は年々増え、今後は、社会ではその存在を無視できなくなる。

また、年少時に、様々な人と接し、一般的な暮らしの中にいるかにより、障がいのある方でも社会への対応力が身につくとの研究が進んでいる。

今日の研究会で基調講演をされた、社会福祉法人むそうの理事長である、戸枝陽基氏は、公演冒頭でこうおっしゃった。

海外から見て、日本は、ノーマライゼーションではない国というのが常識的になっている。100人単位で施設に入れるなんていう先進国はない。

今日の研究会のテーマは、地域共生社会の創造に向けて。

地域共生社会といえば、私も、市議会の一般質問で3回ぐらい取り上げたが、高齢者福祉が話題の中心となった。しかし、子どもの虐待、貧困なども考えると、重層的な支援体制は、高齢者のためだけでなく、社会に存在するあらゆる弱者への支援に目が向けられるべきで、特に介護する家族などの孤立も防がなければいけない。

ふと思う。やはり、5万人以下の基礎自治体は、対象者を把握するのが容易なため、いなべ市ぐらいの規模は、連携し、見守ることに関しては、かなり有利である。

しかし、制度設計が継接ぎだらけで、また、古くからの縦割り意識が日常化しているのなら、その有利さは、中途半端なかたちで終わる。

また、支援拠点の設置については、その所管エリアが広域になる。

結果、連携できていても、横や縦の糸の間が、広くあくことも考えらる。

まずは、基礎自治体内の福祉の地域包括に関して、横断的なモデルをしっかり構築し、ユーザーのニーズのと物理的な資源を鑑みながら広域的な展開をすべきでないかと思う。

そういう意味で、都道府県が主導するのは、どういう部分かを明確にしたほうが良い。

これは、教育改革でも言えることだ。


桑名からいなべ市に戻り、障がい者支援団体のののはなの事務所で、3月11日に大安公民館で行う映画上映会のチラシの配布先を検討しながら、枚数を分け、担当を決めた。

この映画は、東日本大震災の時に、障がいのある方がどのような状況におかれたのか?施設では避難について、どんな行動が行われたのか?

関係者のインタビューをもとに制作された映画である。

日本でも未曾有な大災害であった3.11。12年が過ぎようとしている今でも、未だにご遺体の見つからない被災者もいる。

あれだけの災害でも、障がいのある方の被災状況や避難、犠牲については、あまりふれられていない。極端な言い方をすれば、なかったことになっている。



◆ノーマライゼーションの発祥

ノーマライゼーションは、デンマークのニルス・エルク・バンクミケルセンによって「障害のある人たちに、障害のない人々と同じ生活条件を作り出すこと」とされ、知的障害者へのあり方について初めて提唱された考え方です。その後、スウェーデンのベングト・ニリエによって、ノーマライゼーションの概念が体系化され、世界中に広められることとなりました。

現在では「障害をもつ人も、もたない人も、地域の中で生きる社会こそ当たり前の社会である」と定義づけられています。これにより誰もが障害者(児)に対して「差別」や「偏見」をもつことなどないように、「人権」の問題として捉えられるようになりました。以後、広く教育や企業活動等に取り入れられています。

※ノーマライゼーション(normalization)のノーマル(normal)とは、日本語で「普通」と訳されます。


◆日本における障害者福祉の歴史

弱者を社会的に保護する仕組みが福祉ですが、障害者に対する施策というものは、まず「施設ありき」で始まることが多く、障害者(児)にとって、それが必ずしも当事者の要求に応えられていない、もしくは人権が保たれていない状況が多々ありました。

日本では、高度成長期時代をピークに障害者コロニーが数多く建設され、福祉を大義名分とした対象者の隔離が往々にして起こりました。また、当時の福祉施策は行政措置によって行われていたため、本人の意志が尊重されることは稀でした。

このような状況に対し、世界的に波及し始めていたノーマライゼーションが日本の福祉施策の舵取りを少しずつ変化させ始めました。障害者の自己選択・自己決定を前提としたノーマライゼーションの実現を目指すために2003年に支援費制度が施行され、2006年に障害者自立支援法、2013年に障害者総合支援法へと障害者に関する法律が変化してきました。しかし、これらの法律はまだまだノーマライゼーションの理念が実現できたとは言えず、数々の問題を孕んでいます。

◆日本型ノーマライゼーションについて

日本型ノーマライゼーションの発祥は、近江学園(1946年)を創設した糸賀一雄氏による「この子らを世の光に」という言葉がその始まりだと言われています。以下、糸賀氏の言葉です。

「この子らはどんなに重い障害を持っていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間と生まれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症の障害を持った子供達も立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。『この子らに世の光を』あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子ら自らが輝く存在そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。『この子らを世の光に』である。」

日本型ノーマライゼーションと西欧型ノーマライゼーション(ここでは日本型に対し西欧型という言い方で表現)の根底にあるものは同一だと考えられます。しかし、気をつけなければならないのは西欧型ノーマライゼーションをただ訳して上辺だけを分かったような気になってはならないという点です。あくまで国柄に沿った(ここでは日本という文化や価値観などを含めた)ノーマライゼーションを考えていく必要があるのです。分かりやすく言えば、もてなしの心や思いやり、辛抱強さ、家族・地域とのつながりなど、日本人にとって分かりやすい日本的なノーマライゼーションの構築が重要だということです。糸賀氏による日本型の理念は、そういう意味において大変分かりやすく、日本人の心に響くと言えます。

◆ノーマライゼーションの本来の意味

障害者(児)のありのままの姿を受け容れ、その人々が障害を持たない人々と同じ条件で生活できるように、「周りが変わる」ことこそノーマライゼーションの理念なのです。

決して障害者(児)をノーマル(normal)にしようとするという意味ではないのです。障害を持つ人々の「周りの生活環境」を改善することによって、障害を持ったままでも障害を持たない人と同じ生活ができるようになることを指すのです。現在では、前者を「医学モデル」、後者を「社会モデル」とも呼んでます。

◆人はみな障害と関わりながら生きていく

世の中には先天的な障害を持っている方、生後に交通事故、病気、加齢等によって障害を持つ方がいます。人は誰しも障害と関わらずに生きていくことなどできないのです。

全ての障害者(児)が「普通」に暮らすためには、何が大切なのかを考えたとき、それは障害者(児)もひとりの人間であるという視点のもと、障害者(児)が住みにくさを感じるのであればその障壁を取り除き、いつでもどこでも「普通」に生きられる社会の構築をしていくことに他なりません。障害者(児)ひとりひとりのニーズに沿った社会基盤の構築こそが大切なのです。ノーマライゼーションとは障害を持った方々が、障害を持たない人と同じように生きていける社会を目指して提唱された理念なのですから。


参考サイト↓

いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

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