湧き出す感情を抑えないで。(2023.2.3)

最近、様々な分野のたくさんの方と懇談します。

特に、教育、子育て関係の方からよく聴くのが、

「こどもが素直すぎる。また、感情の動きが少ないような・・・」。

感情の動きというのは、生きている人には当たり前のこと。

しかし、仮に、こどもたちの感情が希薄になった。もしくは、感情を抑え込み、あえて感情表現をしなくなったのは、なぜだろう。また、このことが、どのような影響を及ぼすか?


昨日、第1回三重県森林教育シンポジウムへ参加する。

午前中のワークショップや午後のトークセッションで多数うかがった言葉は、「こどもの主体性を大切しなければいけない」である。こどもの声を聞く、こどもアドボカシーの分野でも、よく聴く言葉でもある。

ということは、現在は、こどもの主体性が大切にされていないということだ。

主体性とは何か?

調べてみたら、自主性との違いを示すサイトが多いので、主体性と自主性について考えてみたい。


主体性:自分の考えや判断をもとにして実行する性質。自分の行動に対する責任が強調されている。

自主性:他人から指示を受ける前に、自分が取るべき行動を率先して行う態度。責任や行動選択の自由が含まれていない。


また、主体性の対義語についても掲載されていたので、参考としたい。


受動性:周囲からの働きかけで行動することで、自分以外の外的要因によって行動が左右される性質

協調性:考えや立場が異なる人とも協力して物事を進めていく性質


では、自己感情と主体性との関係はどうか。


専門的な知見を調べてみようと考えるが、

人間の発達を考えると、理性よりも感情が先に発達する。いや、感情は、生きるために組み込まれた本能に近いものだろう。

喜怒哀楽に、ネガティブやポジティブというような理性的な区分はなく、生き残るために、様々な感情表現は必須である。

集団の構成員となり、自立して生きることを学ぶ過程でチームワーク(社会性)が必要となり、後天的に異性や道徳は学ぶものだ。

だから、あまりに早期に、何らかの圧力や多様性からの孤立の中で、感情の発露を抑制しなければいけない状況になれば、生き残る(生き抜く)力は弱々しいものになってしまうかもしれない。

感情は個人的な声であり、主体性、自主性であるとも言える。

理性は、他者との距離感を図らねばいけないという観点から、受動的であり、協調性であると言える。

あまりに、理性だけを重視すれば、感情は常に抑え込まれることとなる。

要は、やはり、バランスであるが、感情表現が豊かな方は自然に人を惹きつける。

まだまだ研究中だが、少なくても、幼少のこどもに関しては、湧き出す感情を無理に抑えることないほうが、良いのではないだろうか。

癇癪等でご苦労される子育て中の方もいると思うが、あまり、反作用的に反応せず、こどもの感情の大元を観察するぐらいゆったりした気持ちでいれば、何か、アプローチ方法が見えてくるかもしれないし、子育てしてこられた先輩らに、気軽に相談してみてはいかがだろう。


いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

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