安定(安全)を求めるのは本能だろう。だから、危機を察知するために不安がある。
しかしながら、人生はプロセスと多くの他者との関係性で成り立っている。
だから、安定とは、様々な変化への判断力、適応力、それを生み出す経験値が重要となる。
生とは、自ら行うエネルギー交換というゆらぎである。
逆に、死とは、それが止まった状態である。
只、万物とのつながりが失われてしまうかといえば、肉体の場合は、死の直後から、腐敗や風化が始まる。
世界は、大衆居酒屋のメニューのように多彩で、好みの酒とつまみは、その日の気分で変わるし、人によっても様々だろう。
当たり前だが、好き嫌いもあり、たまに、そんなつまらいことで、男女の場合は別れ話に発展することもある。
人生や日々の暮らしはそんなものなのだ。
だから、自分が変わること、人と違うこと。
そんなことを恐れることは微塵もない。
むしろ、成長をベースにした豊かな人生、トラブルも含めた想定外の不確定な多様な体験、人や事との出会いは、変化の中でしか現れることはない。
夢がないからと言って、自分を卑下する必要などないが、好奇心や学ぶ姿勢を失うことは、とても危険だ。いや、実につまらない人生が約束されるだけだ。
主導権は、主体性に宿る。
だから、自分を、自分の価値観をただ大切にすればいいが、あまり固執しないほうがいい。
変わること、変わってしまうことに、必要以上に、不安と絶望を感じてしまうから。
世界のカタチは、自分で選び取るもの。
そのカタチを誰かと共有できる場所が、今の君の居場所であり、
それは、「今、ここで」しかなく、明日は変わるかもしれない。
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