変えない・変えられない罪

先日、新選組隊士の子孫が集まったという報道を視た。

その多くが隊士のひ孫である。

現在でも、ひ孫がいるご高齢の方は多いだろう。

つまりは、幕末とは、そんなに昔ではない。

日本の近現代の歴史の大きな分岐点は、明治維新と太平洋戦争の敗戦である。

それまでの国のあり方ががらり変わり、私たち庶民の地位や暮らしも大きく変化した。

太平洋戦争の敗戦から77年、敗戦から明治維新まで77年。

令和4年(2022)とは、そんな年である。サムライの時代が終わってから、まだ、154年しかたっていないのである。

だから、昭和40年代からなんとなく続いてきた、自由で豊かな日本繁栄の時代など、一般的な現代人が思っているように、続く保証などどこにもない。

ただ、一言言えるのは、いつの時代でも変化に挑戦し、順応したものが、時代の機微を味わうことができる。


高齢者の中には、今までの暮らしのあり方や慣例を

「昔から決まってるから、当然だ!」「変える必要などない!」

頭ごなしに言う方が時々みられる。

昔から・・・。それは一体いつからなのか?せいぜい、自分が生まれてから以降のこと。

本当は、変えられることが怖いだけなのだろう。

今の自分の位置が揺らいでしまう。そんな個人的権威事情も含まれているかもしれない。

変えられてしまえば、最早、経験値を背景にした権威は保てなくなる。また、慣例故に、無難に過ごしてきた行事のかたちや生活様式を根本から見直すことでの不安感が増す。

肉体も精神も衰えた身では、新しいことへの順応ができない。

それへの恐怖が大きいのだろう。

しかし、昭和、平成、令和。世界や日本の歩みの詳細を再読すれば、常に、世界は変化の連続で、特にインターネットを始めとするデジタルが情報や技術革新の基礎技術となってからは、働き方、価値観、情報収集、体験、スピード、遠隔対話などなど、たった20年余りで、人の暮らしのカタチは激変した。

こうした中、変えないという選択肢はないと考える。

しかし、変えられなかった部分もたくさんあり、この変えられなかった部分により、将来世代は、大きな負債を抱えることとなってしまった。

また、政治的闘争よりも、ずっとおもしろいエンタメやビジネスを与えられた若い世代は、何かと現実的に対峙し、戦うというリアリティを持つことができなかった。

だから、参画する前に、何をしても変わらない・・・という、ドライな無関心、無知にとらわれてしまった。

まあ、それに囚われていることすらも意識できていないのが実に悲惨であるが。

政治は地味。そうだろう。そうだが、市民が管理されるシステムを決めるのは、いつの時代でも、どこの国でも政治だ。

だから、興味なく、無知であれば、歴史が証明するように、市民は大いに路頭に迷うこともある。

そして、そうなれば、市民の力では、暴力以外になす術がなくなるのだ。

変えるために尽力しながら、変える者たちの邪魔はしない。

あなたの声をいつでも聴かせてください。


いなべ市議会議員 篠原史紀

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