人は誰でも、当てのない約束をしたことがあるだろう。
いや、その時は、その約束は確信に満ちていたはず。
しかし、その確信とは、多分、信じたいという人間の性なのだろう。
信用とか、信頼。
いろんなところで、当たり前に、大切なものとして語らえるが
実は、私には正直よくわからないで今まできた。
人は、人により、信頼や信用をするものやポイントが違うし、
どんなに長くお互いの良し悪しを知っていても、
その時の置かれた状態で、たった一言や一つの行動だけで
あいつはもう信用できないと言い出す。
その物差しは、その人のその時の色眼鏡だという自覚がない。
また、誰々が言ったから。は、言語道断。
己すら信じていない者がいかに人を評価するのだ。
また、思い切り裏表をもつ悪党の素性に気がつかず、
自分だけのつぼにはまり、信奉者になった瞬間から
何を言っても、こちらの言うことは、嘘、信用できないなど言い出す。
自分の日々の不安定なありよう、よく言えば朝令暮改に、私のゆらぎに自信が持てないし
そう、もともと大した人間でもない。
正義を振りかざす無礼や不道徳の人は当たり前にいて
自分の仕事や商売がかかわれば、平気で嘘もつけよう。
でも、私は、それを責めたりもしないし、やめてくれというつもりはない。
ただ、私を巻きこまないでほしい。
私は、誰かの道具ではないし、精神安定剤でもない。
首振り人形でもなければ、もちろん、神様でもない。
この時代に出会えた奇跡だけでは、だめかい?
出会えただでも素晴らしいではないですか。
また明日。
そう声をかけて二度と再会できなかった方々がたくさんいる。
そして、二度ともう直接話もできない。
でもね。私は、忘れないし、たまには、貴方方の声を寝床で思い出して
時々、話しかけたりはしています。
忘れないことが、一番の供養だと思うから。
今日も全ての方々にありがとう。
そして、また、明日。
0コメント